NHK大河ドラマにちなんだ企画展示に行ってきました
2022/12/22

令和4年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する和田義盛は、勇猛だがかわいいところもあるユニークなキャラクターとして存在感を発揮していました。和田義盛は相模原とゆかりのある人物でもありました。
そこで相模原市立博物館は、大河ドラマの関連事業として『鎌倉時代初めの相模原の武士団 横山党』という巡回展を企画しました。市内3か所を巡ったのち、10月20日から12月23日まで麻布大学いのちの博物館で開催されていると聞き、足を運んでみました。

相模原に残る和田義盛の逸話
鎌倉幕府の初代侍所別当をつとめ、源頼朝の死後につくられた13人の合議制の1人にもなった和田義盛は、三浦半島を本拠地とする一族に生まれましたが、八王子を根拠として相模原にまで勢力を広げた武士団・横山党と姻戚関係にありました。その関係から相模原をたびたび通ったと伝えられており、市内に様々な伝承が残っています。
平安時代末期から鎌倉時代のはじめにかけて、横山党は武蔵国一円から相模国北部や甲斐国東部まで勢力を拡大し、相模原もその影響下になったと考えられます。また、一族の者が領有した土地の名を名字として名乗るようになったので、藍原氏、粟飯原氏、田名氏、矢部氏、小山氏などのいまに残る地名が略系図のなかにみられます。
中央区から緑区にかけて、各氏の館跡などの伝承地があり、パネルでその伝承地の写真と場所を示した地図が紹介されています。

義盛に関する伝承で有名なのが「和田坂」の逸話です。義盛が亀が池八幡宮の近くの坂のたもとで弁当を食べ、そのとき使った箸を地面に刺したところ、根付いて大きな榎に成長したそうです。その故事にちなんで榎は「和田榎」と、坂は「和田坂」と呼ばれるようになったというのです。
和田坂を下ったところの姥川に架かっている橋は「藤橋」と呼ばれています。この橋にも「和田義盛が藤でつくった」という言い伝えがあります。

身近なところに歴史の痕跡が…
「文献にみられたり言い伝えがあったりしてもそれを証明する“現物”は残っていないので、博物館での特別展のような展開はむずかしく、パネルでのミニ展示になりました。ただし、パネルの展示なら温度管理や湿度管理がいらないのであちこちに巡回できる、というメリットもありました」
(相模原市立博物館・眞壁ゆいさん)
これまで市立博物館(1月15日~3月16日)、吉野宿ふじや(4月16日~6月12日)、尾崎咢堂記念館(6月18日~8月28日)で開催され、麻布大学いのちの博物館での展示が最後だそうです。
義盛は源頼朝の呼びかけに応じて挙兵し、頼朝の死後も鎌倉幕府を支えますが、最終的には反旗を翻し、和田合戦で敗れます。和田一族も横山党も滅亡して歴史の表舞台から姿を消すことになります。
「相模原にも大河ドラマに関連する様々な伝承があり、和田義盛とかかわりの深い武士団がいた。その歴史を地域のみなさんに知ってもらって、郷土のことにもっと関心を持ってもらたいたいですね」(眞壁さん)
場所は明かされていませんが、『鎌倉殿の13人』は相模原でのロケも行われているそうです。
展示を案内していただいたあと、和田坂に行ってみました。周囲は住宅地になっており、榎の木は残っていませんが、坂を上がったところに「わだ坂」の碑が建っており、かすかに当時の面影をうかがわせます。


日常のなにげなく眺めている風景のなかにも歴史の痕跡があることを思い起こさせてくれました。
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なお、今回の展示場所となっている麻布大学いのちの博物館は、学園創立125周年にあわせて2015年に開館した博物館です。獣医畜産学の教育機関として長い歴史をもつ大学が収集した様々な標本や研究資料が展示されています。
全長9メートルのアナコンダの骨格標本など、こちらも見ごたえ十分です。

学校の敷地内にあるため電話での予約制の形をとってはいますが、連絡を入れれば平日なら無料でいつでも見られるそうです。JR矢部駅から歩いてそれほどかからないので、動物に興味があるのなら訪ねてみてはいかがでしょうか。
身近なところにもさまざまな歴史があり、魅力あるスポットであることを実感できた1日でした。