考える力が身につく!?旧石器時代の生活はいかに?
2022/03/15

〝日本でここだけにしかない〟後期旧石器時代の建物跡が相模原市にあることはご存じでしょうか?旧石器時代というのは、今から約1万6000年前からはじまる縄文時代の前の時代のこと。現在は西暦2022年、はるか昔の暮らしについて旧石器時代学習館(中央区田名)の学習指導員・金子京子さんに聞きました。
―まずは、旧石器時代学習館について教えてください。
旧石器時代学習館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設です。正式には「史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館」といいます。長いですよね(笑)。
この田名向原遺跡というのが、約2万年前の後期旧石器時代の住居状遺構が発見された場所であり、約2万年前の建物の跡が見られるのは日本でここだけなのです。この歴史を身近に感じてもらおうと、平成21年に旧石器時代学習館が開館され、出土品などの展示や解説をしています。また、旧石器時代だけでなく、田名塩田とその周辺で発掘調査により出土した縄文時代や古墳時代の展示品もありますよ。

―日本でここだけと聞くと、スゴイ史跡が相模原にあるんだなと思います。具体的には何が特徴なのですか?
旧石器時代の住居状遺構というのは、日本で19例ほどしかないんです。「日本でここだけ」とお話ししましたが、正確には、柱穴・炉跡・外周円礫・石器の出土状況などの建物を想定する根拠となる条件が揃っているのが、日本で田名向原遺跡だけなのです。人類の定住化の可能性を物語る〝日本最古の建物〟として貴重な遺跡であり、国の史跡指定を受けています。
住居状遺構と呼ばれているのは、住む場所だったのか、または作業所だったのか、狩猟拠点だったのかなどなど、使途が今も分からないところから、こうした呼び方をされているんです。

―19例でもスゴイですね。でも、なぜ他では建物の痕跡が残っていないのですか?
2万年前の土壌は酸性土のため、旧石器時代に建物の部材として用いられた有機物質は、ほとんど残らないんです。さらに、当時は遊動生活を基本とするため、家を建ててもテントのような簡易的なもので、遺跡で発見されるような痕跡が残りづらいものだったと考えられます。そんななか、田名向原遺跡の直径10mの規模を持つ約2万年前の建物跡というのは、世界でも類例のない大きさなんですよ。

―世界でも!?それはスゴイ事ですね!それにしても「2万年前」というのが、まだピンとこないですね。旧石器時代というのは、どんな時代だったんですか?
2万年前というのは、最終氷期で今よりも平均気温が7、8度低く、現在の東京が北海道くらいの気候だったと考えられています。北極・南極の氷河が拡大したため、海水面が今よりも100m以上低くなり、今の海岸線より陸地が広がっていたみたいですし、火山活動が活発で広い範囲で火山灰が降り注いでいたようです
歴史として伝えづらいのは、「文字」の痕跡が見つかっていないのが要因かも知れませんね。日本のことが文字で登場したのが、魏志倭人伝ですから3世紀末ごろ。この史跡は2万年前ですからね。年表も作ってみましたので、見て下さい。
―撮影が難しい、というか旧石器時代みえないくらい遠いです(笑)

―旧石器時代の人たちは、どういう暮らしをしていたんですか?
当時の暮らしは、食料を得るために動物を追い求め、植物の採集を行っていたと思われます。漫画などではよく〝腰蓑〟姿などで原始人を表現されたりしていますが、先程お話ししましたように、当時は今よりも気温が7、8度低いので、動物の毛皮を身にまとい、寒さに耐えられる服装だったと考えられています。

―はっきりと、「コレでした!」とはならないのですね。
そうなんです。建物と同じように有機物質は出土していないのが、現状です。ですので、世界の調査成果や民俗事例を参考にもしますが、何より「分からないことは、想像をめぐらす」というのが、歴史を楽しむ醍醐味です。
―なるほど~。
酸性土壌でも歴史を紐解くヒントになるものがあります。それが「石」です。田名向原遺跡においては、約3000点もの石器が出土していて、しかも、その約8割が「黒曜石製」だったんです。

―黒曜石・・・ってなんですか?
黒曜石というのは、火山の噴火で生成される天然のガラスで、「加工具」や「狩猟具」として使用されていたものです。田名向原遺跡では、槍の先に付けて動物を狩猟する槍先形尖頭器が193点出土しています。
―相模原市で、黒曜石がとれたということですか?
黒曜石は産地が限られ、それは相模原市ではなく、関東圏では長野や伊豆、箱根、栃木県の高原山、東京湾沖の神津島(恩馳島)に限られています。田名向原遺跡から出土した黒曜石は、神津島以外すべての場所のものだとも分かっています。つまり、旧石器時代の人々が、広域に移動をしていたり、交流があったことを証明するものなのです。
―2万年前にどうやって、そこに人がいるって分かったんでしょうか?
どうなんでしょう。はっきりとわかることは「交流があったのだろう」というところまでなんです。旧石器時代の遊動生活では、ある程度の広さを持った生活圏の中を季節の変化などに応じて巡る回帰性を持ったくらしが考えられています。この時期にここに来たらあのグループがいる、など、それぞれのグループがお互いの行動を知っていたのかもしれませんね。それにしても、不思議ですよね。
―UFOでの移動とか、テレパシーですかね?
アハハハハ。想像を楽しんでください。

―食事はどうしていたのですか?
黒曜石を使い、狩猟していたのは、ナウマンゾウなどの大形絶滅動物はすでに姿を消していった時期で、シカやイノシシなどのより小型の動物にシフトしていったと推測されています。石と同様に歴史の証明となるのは「土」であり、田名向原遺跡では土が赤くなって発見されていることから、ここに〝炉跡〟があったことになります。また、焼けた石のまとまり〝礫群〟が発見されていることからも、火が使われていたのは間違いないでしょう。
礫群の石は食材の加熱に使用されたと考えられ、大き目の葉っぱにくるんだ肉などを上に置き、「蒸し焼き」のようにしていたと思われます。
田名向原遺跡での証拠はありませんが、綾瀬市の遺跡では礫群からイノシシの歯が発見されているので、それを食べていた可能性もあります。
―火はどうやっておこしていたんですか?
その作業についても証拠がないので、はっきりとしないんです。道具として皆さんがよくイメージされる「キリモミ式」が最古といわれ、北海道で発見されているのが、縄文時代後期のものになります。
当施設では、「キリモミ式」のほか、「ユミギリ式」「ヒモギリ式」「マイギリ式」「火打ち石」と、5種類の火起こし体験も楽しめますよ。
―楽しそうですね。
ぜひ、やってみてください。

―少ししかやっていないのに、めちゃくちゃ疲れますね。でも、煙が出てくると、疲れを忘れて楽しいです。
それは何よりです。今は便利な世の中で、火を付けることはボタンを押すだけで、誰でも簡単にできますが、昔の人は今以上にあれこれと頭を働かせて暮らしていたはずです。子どもも大人も昔の生活を体験してみることで、脳が活性するかも知れませんね。
―歴史を知ることで、「考える力」が身につきそうですね。
そうですね。歴史は今も尚「ミステリーだらけ」です。そんな〝分からない〟ところに、ロマンが詰まっています。当館では、そのロマンをたくさん感じとることができますので、ぜひ当施設にお越しくださればと思います。

【情報】
名称:史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)
住所:相模原市中央区田名塩田3-23-11
Tel :042-777-6371
開館時間:4~10月 午前9時~午後6時
11月~3月 午前9時~午後5時
休館:年中無休(但し12月29日~1月3日は休み)
入館料:無料
相模原市HP https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisetsu/bunka_shakai/library_etc/1002761.html